学年ビリの落ちこぼれが、100社以上の業績を伸ばすまで
はじめまして、渡瀬吉朗です。
このページは私の自己紹介であると同時に、「どうしようもないアホ」が経営コンサルタントになり、Web制作会社を起こすまでの記録です。結構な長文ですが……人生、何度でもやり直せることの証明として、お付き合いください。
渡瀬吉朗(Yoshiaki Watase)
昭和41年(1966年)7月生まれ。静岡県浜松市に生息する仕事中毒男。
インターネットの無限の可能性を信じ、ビジネスとマーケティングに活かすノウハウを日々追求し、自ら実践し続けている。
| 勤務先 | 渡瀬吉朗事務所 |
|---|---|
| 役職 | 代表 |
| 趣味 | ただただひたすら仕事(笑) |
| 血液型 | O型 |
| 尊敬する人物 | 高杉晋作、斎藤道三、坂本竜馬 |
| 好きな人のタイプ | 明るく前向きに挑戦する人・夢のある人・大欲を持っている人・志の高い人 |
| 好きな食べ物・飲み物 | サバ、蕎麦、スコッチ・バーボン(特にJack Danielを好む) |
実績
- 経営コンサルタント歴30年
- サイト制作・Webマーケティングのコンサルティング実績100社以上
- 著書『穴だらけのバケツに水を注ぐな!』(Amazonで見る)
- 国政選挙・首長選挙・地方選挙におけるネット戦略支援の実績多数(支援先の政治家名は非公開)
渡瀬吉朗ストーリー
学年ビリ。バイク。警察。──どうしようもない10代
まず最初に白状します。高校時代の私は、クラスでダントツのビリでした。
いや、クラスだけではありません。学年でも運動部の連中と熾烈な「ビリ争い」を演じ、何度も学年ビリの称号を獲得(笑)。バイクを乗り回し、ディスコに入り浸り、ほとんど学校に行かず、家にも帰らず友人の家を転々とする毎日。成績表は赤点と単位保留の嵐。今思えば、進級も卒業もできたこと自体が奇跡です。
その甘い考えのまま社会に出たのですから、結果は見えていますよね。どの会社もまともに務まらない。未成年のときに暴走行為で警察のお世話になってクビ。社長と喧嘩して退職。……お恥ずかしい話のオンパレードです。
高校を卒業した直後の私は、まったく社会に順応できないダメ人間、正真正銘の社会不適合者でした。
でも、人生はここから変わります。
「スーツを着たかった」だけの男が、半年でトップセールスに
職を転々としながら20歳のとき、営業職の面接を受けました。
理由は? バカみたいですが「スーツ着てネクタイ締めて仕事したかった」──それだけです(笑)。
すると面接してくれた社長が一言。「お前の目がキラキラ輝いているから!」。訳のわからない理由で採用され、求人広告の営業が始まりました。
これが、天職でした。
当時の私は、売上を上げようなんて微塵も思っていませんでした。仕事を通じて友達を増やしたい。いろんな業界の知識や、ナマの経営学を勉強させてもらいたい。その一心でお客様を訪問していたら、なぜか「◯◯の募集をしたいんだけど、原稿を創ってくれないか!」という依頼が次から次へと舞い込んできたのです。
一つひとつ一生懸命こなしていたら、業績はぐんぐん上がり──気がつけば半年でトップセールスになっていました。
そして確信しました。
「営業って、素晴らしい方々と友達になれて、自分の知らないことを教えてもらい、挙句の果てにお金までもらえる。マジで凄い仕事だ!」
売ろうと思ったことは、一度もない(笑)
もし「ノルマがあるから何が何でも契約を取らねば」と血相を変えて訪問していたら、トップセールスにはなれなかったと思います。
「いろいろ勉強させてください」という気持ちでお客様と仲良くなる。すると、いろんな相談を持ちかけられるようになる。相談されたら、教わったことを一生懸命、企画や原稿に反映する。──そうしたら、売れちゃった。これが真実です。
営業とは、売ろうと思えば売れない。お客様をよく知り、仲良くなり、持ちかけられた相談に真摯に応える。これが成功の秘訣。まさに恋愛と同じですね!
なぜコンサルタントを目指したのか
その広告会社を支店長を最後に退職し、経営コンサルティングファームに転職しました。理由は2つあります。
1. 男に生まれた以上、できるだけ「でかい仕事」に取り組みたい!
でかい仕事とは、社長になってたくさんの人と大きなお金を動かすことだ──ずっとそう思っていました。しかしあるとき、経営コンサルタントという仕事を知り、雷に打たれたのです。
社長が動かせるのは、せいぜい1社か2社。しかし経営コンサルタントなら、担当するクライアントすべての会社の経営に、経営者と同じ意識と目線で携われる。「オレが求めていた一番でかい仕事は、これかもしれない!」
2. 仕事の楽しさを、一人でも多くの人に伝えたい!
営業が楽しくて楽しくてしょうがなかった頃、ふと周りの友人を見渡すと──驚くことに、ほとんどが仕事嫌いだったんです(^_^;)
イヤイヤ働き、上司の目を盗んではサボり、休みの多い職場を探し、でも給料は1円でも多く欲しい。それを知ったとき、残念で、悲しかった。
本当は仕事ってめっちゃ楽しいのに、みんなその楽しさを知らない。ならば、オレが世の中に仕事の楽しさを教えてあげよう! 経営コンサルタントなら、それができるんじゃないか──なんと単純な発想(笑)。
「給料はいらない」──ありえない志願書
一冊の本に出会いました。とあるコンサルティング会社の社長が書いた本です。大いに共感した私は、早速その会社の求人に応募しました。
募集要項には「大卒以上、専門分野での実績があること」。……田舎の商業高校卒、職を転々とした不良社会人の私には、応募資格すらありません(笑)。
そこで面接で、こう申し出ました。
「給料はいらないから、勉強させてほしい。ただし、頑張って生産性を上げたらガッツリいただきますよ」(笑)
すると面接してくれた取締役が「お前は面白いやつだ」と採用してくれたのです。
そのファームは、船井総研、タナベ経営、日本LCA(当時)に続く中堅の国内コンサルティング会社で、株式公開を目指す伸び盛り。同僚は東大、京大、早稲田、慶応、一橋を出て、三井物産、NEC、タカラトミーといった一流企業で実績を上げてきた精鋭ばかりでした。
どうしようもないアホでも、その気になればコンサルティング会社に入れるのです。
世にはびこる「ダメコンサルタント」
しかし入社して、もっと驚いたことがあります。
立派な大学を出て大手企業の実績を引っ提げたコンサルタントの多くが、クライアントには「経営かくあるべし」としたり顔で講釈をたれながら、肝心の自分自身の売上目標すら達成できていなかったのです。
どう思います? 顧客の経営を指導するコンサルタントが、自分の商品を売れないって??? もう、笑うしかないです!!
私はそういうコンサルタントを反面教師にしました。まず自分自身の業績目標を徹底的に達成する。そして、自分で実践して効果のあった「実証済みノウハウ」だけを体系化し、クライアントに提案・導入する。
おかげさまで、在籍中は常にトップクラスの業績を出し続け、担当したほとんどのクライアント様の業績も順調に伸びたと自負しています。
目の前の社長を、救えなかった
コンサルティングをしていると、悔しい場面に何度も出くわします。「もう少し早く相談してくれたら、なんとかなったのに」という中小企業です。
会社と人のカラダはよく似ています。人は血液の3分の1を失うと生命の危機に直面する。企業も、総資産の3分の1まで累積赤字が溜まると倒産の危機です。相談に来る中小企業の多くは、すでにかなり「出血」した状態でした。
赤字を垂れ流している状態で経営計画を作っても、人材育成をしても、手遅れ。そして当然、コンサルティングフィーを払う余裕もない──。
「できるだけお金をかけず、短期間で中小企業の業績を上げる方法はないのか」
その問いに試行錯誤を繰り返した末、たどり着いた答えがマーケティングでした。特にインターネットを活用したWebマーケティングは、特性を理解して使えば、コストを抑えながら比較的短期に業績をV字回復させることができたのです。
そこで当時の上司に提案しました。「ITを活用したマーケティングコンサルティングメニューを開発して、中小企業の業績向上に貢献しましょう!」
返ってきた答えは──「そんな海のものとも山のものともわからないITに、投資なんてできない」。
この会社で実現できないなら、自分でやるしかない。そう決意して独立しました。以来今日まで、100社以上のサイトを企画・制作し、中小企業の業績向上に全力を尽くしてきました。






